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ランダムな選択

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何かしたいけれどそれが何なのかはっきりとしない。沸々としたよく分からない激情のようなものだけが渦巻いている。

だいたい、この悶々とした気持ちは、仕事がうまくいっていないときに湧いてくる。全てを投げ出してしまいたい衝動なのか、それとも43歳となりもう枯渇しそうな初期衝動が、もうないです、そろそろ無理です!と喚きだしているのだろうか。実際、一人で車を運転しながら、悶々として大声であ〝あ〝ー、と叫んだり、己の力不足を反芻して、恥ずかしー!シニテー!、などと喚いている。ただ喚くだけではなんとも勿体無いと感じたので、幼い頃得意だった音当ては未だできるのか、子供向けの音当てYouTubeを流しながら試してみたりしている。

こういう切羽詰まったときは、積読本だらけの本棚の前でウロウロして、なんとなくヒントをくれそうな本を手に取ったりするけれど、今日はしっくりくるものがなかった。

何が何だかよく分からないが、答えが欲しい。
とりあえず、近所の図書館へ向かった。

何が読みたいかも全く決めていない状態だったので、心の赴くままに5冊ほどピックアップしてみた。

そして、各書をコメントとともに紹介します。
↓ここからデスマス調入り混じりとなります🙇‍♀️

不快な夕闇  マリーケ・ルカス・ライネフェルト
家に帰ってから著者のプロフィールを見てみると、1991年生まれの作家/詩人であり、史上最年少でブッカー国際賞を受賞した方だった。今、まだ10ページ程度しか読んでいないけれど、油膜が張っているようなねちりねちりとした描写が印象的。

サミュエル・ジョンソンが怒っている リディア・デイヴィス
ディヴィス氏の「ほとんんど記憶のない女」がとても気に入ったので他にも読みたいなと思っていたところ、たまたま発見。「ほとんど〜」と同じく、サクサクとした短編が詰まっている。調子の悪い鍵穴のような話が多い。鍵はあっているのに、何かがつっかかる、というような表現がお上手です。パラパラめくって最初に目がついた「<古女房>と<仏頂面>」を読む。辛辣ながらも共感。面白い。

82歳の日記 メイ・サートン
田舎に戻ってきてからメイ・サートンの「独り居の日記」「海辺の家」を何度読み返したことか。「海辺の家」は高値なのでなかなか手を出せず、この図書館で何度も借りていたらいつの間にかメイ・サートンの著書が増えていた。もしや司書さんが意識して増やしてくれていたのでは、、、などと勝手に想像する。どちらにせよ本当にありがたい。
しかし、「82歳の日記」は私にとってはちょっとアダルティーでした。「海辺の家」では他界する人の話が増えたけれど、「82歳の日記」では更に増えていた。そのうち、さらにひとりぼっちになっていく、同じような心境を噛み締められるようになるのだろうか。先日、友人と話していたときに、孤独はマイナスなイメージで囚われがちだけど、英語のsolitudeは前向きな孤独をまさに表現していると話をしていた。サートンの孤独はまさにsolitudeだ。
メイ・サートンの「独り居の日記」「海辺の家」を翻訳なさっている武田尚子さんの言葉遣いがとても美しく、気になってウェブサイトを拝見したら、やはりとても丁寧で真摯な方だった。
エッセーのリストというページのコメント、わたしの方でも文字が打ち込めてしまうけど、大丈夫なのだろうか。
武田さんへメッセージも送ったけれど、エラーが出てしまった。もしかすると一生届かないかもしれないので、彼女の素晴らしい翻訳への賞賛と感謝を、ここに記させていただきます。

国のない男 カート・ヴォネガット
初めてヴォネガットのエッセイを読みました。戦争を経験しドイツ系移民の家系に生まれたヴォネガットが、9.11をめぐる混乱のさなかに綴ったエッセイ。トピックは重かったりもするけれど、ユーモアは最大の武器である。これにつきます。今、再び読むべき本ではないだろうか。2001年9月11日、当時わたしはアメリカに住んでいて、国民の意識が政治、そして正義というものに大きく揺らいでいた時だった。東浩紀氏は「平和と愚かさ」で、“平和ボケは平和だからこそ存在できる”と語っている。まさにその通りで、今は、平和ボケが許されないフェーズを迎えている。なんせ、眼前に戦争があるから。わたしは、9.11のテロだの陰謀論だのが飛び交っていたあの頃、悪の根源(であろう)ブッシュが大嫌いだった。当時付き合っていたパートナーの両親は、共和党支持者でありブッシュ支援者だった。しかし、政治的な考えは違っていても、彼のお母さんはとても優しかった。アジア人差別が珍しくない田舎町で、私のことを心身ともに守ってくれた。それでも、ブッシュの話になったときに、大喧嘩になった。戦は厄介である。二項対立も厄介すぎる。理想は、ときに排除を望んでしまう。
話がずいぶんそれてしまったけれど、この本の中で好きな章は、ゼンメルヴァイス医師のところと、終章のソール・スタインバーグのところ。すぐに読める一冊です、ぜひみなさんの感想を伺いたいです。

クリエイティブの授業 オースティン・クレオン
アーティストによる、作るべきものを作れるようになるための本、とのこと。キャッチーなビジュアル。自己啓発的っぽい本はあまり読まないけれど、ジム・ジャームッシュの引用が気になったから借りた。

“自分の感性と共鳴するもの、
想像を掻き立てるものなら、
どんなものからでも盗みなさい。
昔の映画、今の映画、
音楽、本、絵、写真、詩、夢、雑談、
建物、橋、看板、木、雲、光、影。
どんどん吸収し、心に訴えかけるものだけから
盗むのだ。そうすれば、
君の作品(盗作)は本物になる”

さて、一気にランダムな紹介しましたが、なぜ今どき、こんなウェブサイトを開設したかお話を。

ここ数ヶ月間、決断や自分の能力不足に悩み、バランスを取るのが難しい状態が続いていました。
このウェブサイトのドメインも去年の夏には購入していたのですが、ようやく手をつけたのが3日前。お金を得るための仕事や、それに伴う責任は間違いなく大事なのですが、ここ最近の沸々悶々は、輪郭のぼんやりとした「やりたいこと」を、自分でも理解できる形に落とし込めていないことへのストレスだったのだと思います。結果が見えないとしても、やりたいことと真っ向から向き合うことは、生きるためのマネーメイキングと同じくらい大切なのだと意識しなければ、と思いました。すんごい幼稚なことを言っている気もしますが、、、。

去年、このドメインを購入したときは、コクヨ研究所が発行しているworksightのような、魅力的なテーマを掲げ、緻密なリサーチや記事をまとめたウェブマガジンが作りたいと思っていました。しかし、時が経つばかりで何も手をつけれず、自己嫌悪に陥っていました。

何よりも、このサイトを一気に固めることになった決定打が、3日前にありました。近所のお寺に霊断という名の相談に行ったんです。そして、“始めようと思っているのにまだ手をつけられていないことは、さっさとやれ。タイムリミットは近い”と言われました。枯渇しそうだと感じていた初期衝動は、どうやら本当に枯渇寸前だったようです。何かしら形にしなくては。こんな自己満サイト、誰が読んでくれるかも謎ですが、自分で自分を急かして、とりあえずこちらを作ってみました。

というわけで、
seamilkでは、気負いすぎず、格好つけず、風呂敷を広げすぎず、わたしや、ときにわたしの仲間たちが考えていること、心身のために届けられることを伝えていければと思います。何かのヒントを求めているときに、ふと手がかりが見つかる場所というようなイメージでしょうか。
電話回線を使い、ウェブサイトに写真を貼るのも大変だった時代に育ったので、情報の詰まったテキストベースのウェブサイトは私の根源です。テキストにフォーカスし、いろいろと公開していければと思います。

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